Music Column

4. 前衛音楽と心霊現象:

 「のだめカンタービレとローズマリーブラウンの霊感」でも書いたけど、演奏中にイってしまわれる場合は多い。一種の憑依現象か?とも思うんだが、それについて面白い経験がある。


 本題の前に前衛音楽を勝手に定義。色々説はあるようだが、とりあえずここではメチャメチャな音という、いい加減な解釈で話を進める。よく楽器の弾けない子供が、楽器をメチャメチャに弾いて「前衛音楽〜!」なんて言ってるけど、ここではそういった微笑ましい程度の音の塊として話してるので、あまり学術的に深く突っ込まないで下さいな。


 で、この手の滅茶苦茶演奏ってのは真面目にやろうとすると意外にも難しい。小学生の前衛音楽ゴッコもせいぜい2〜3分続くのが良い所だろう。もし5分以上真剣に前衛してる小学生がいたら、是非病院に連れて行ってあげるべきだ。なぜ難しいのか?というと、滅茶苦茶に弾いているつもりでも一種のパターンが出来てしまうからだ。もちろん飽きるというのもある。したがって本気で滅茶苦茶というのはパターン性からも逸脱し、そこそこ音を出していて面白くないと続かない。結局それをやろうとすると実は演奏する楽器について習熟していないと滅茶苦茶にならないのだ。


 例えば30分間ピアノをメチャメチャに演奏して下さい、と言われたらかなり悩むことになるだろう。しかしこの手の滅茶苦茶はアナログシンセとコンピューターが登場して簡単に出来るようにはなった。所謂ランダムノートスイッチをオンにして、あとは適当に音を作ってれば良いのだ。国産アナログシンセが登場した1970年代中ごろにはこの手のランダムノートによる退屈極まりないシンセサイザーコンサートが、しかも4チャンネル立体音場方式で行われ、シンセサイザーメーカーの人達は付き合いで会場に足を運び発狂寸前になるという被害が相次いだものである。


 シンセとコンピューターなら簡単に乱数を作れるが、生の楽器だと、やはりそう簡単には行かない。


 さて、ここで話を戻し今度は心霊について。私の父親は昔は全然そういった事を信じなかった。ところが祖母がガンにかかり、その治療法を探すうちにどこで情報を得たのか杉並区高円寺の心霊治療家の所へ行き着いた。その心霊治療家は老齢の大先生と実質的な治療を行う娘さんの二人で治療を行っていた。今のようにメディアが発達しているわけではない1960年代の事なので、別に組織を大きくする事もなく、知り合いのつてで治療を依頼してくる人達にひっそりと手のひら治療を行っていた。


 私も小児喘息があったので時々治療を受けに行ったのだが、ある時、老先生が手のひらから念を送る、というのをやってくれた。私は正直半信半疑だった。老先生と2〜3メートル離れて手を向き合わせて座り、老先生が私の手のひらに念を送って来るわけだ。手のひらにピリピリと痺れたような感じがするはずだ、という事だったんだけど、最初私は何も感じなかった。こりゃーインチキか、私にそういうのを受ける力がないのかな?と思ってたんだけど、しばらくして老先生が「もう少し強く念を送ってみましょう」と言って数秒後、私の手だけではなく右半身にいきなり強烈な痺れが来た。それは電気に感電するというような感じではなく、右手のひらを中心に右半身だけが総毛だったような感じだった。私は思わず声をあげて後ろにヒックリ返ってしまった。まあ、これをインチキだとかなんとか色々言うのは自由だが、とにかくそういう経験があったというのは事実だ。


 で、この娘さんの心霊治療家なんだけど、数年後に老先生が亡くなったら、姿を消してしまった。どうしたのか?と思っていたら突然汚い身なりで私の家にやって来た。家に泊めて欲しいという事で、1〜2ヶ月の間、私の家に住んでいた。当時の私の家は広かったので一人増えたくらいなら生活に支障はなかった。親は困っていたらしいが小学生の私は遊んでくれる人が増えたので結構喜んでいた。


 ところがこの人、泊まっている客間に置いてあるアップライトピアノを滅茶苦茶に弾くのだ。最初の数分間は普通に童謡のような曲を弾いてるんだけど、突然それも本当に雪崩の如く滅茶苦茶な音の連続を延々1時間くらい弾き続ける。前記の通り長時間滅茶苦茶を弾き続けるのは難しいのに1時間も、ほとんど騒音のような強烈な音の塊を弾き続けていた。しかもピアノを叩くと言った反則技は使わずに純粋に指を使っての滅茶苦茶演奏だ。まさに何かに憑依されているとしか思えないサウンドだった。もし当時テープレコーダーでも持ってれば録音しとけたんだが、残念ながらまだ私は自分用のテレコを持っていなかった。


 その後、聞いた話では、心霊治療家というのは大概不幸な末路をたどるのだそうだ。その理由は、病気になる人というのはそれなりの理由があって病気になっており、その根本的原因を解決しないで心霊治療によって強引に病気を取り除いてしまうと、自然の摂理に反するため、治療をした人が不幸になってしまう、というものだ。


 私はこの心霊治療家の演奏を思い出すと、それがなんとなく納得できてしまう。どう考えてもあのピアノ演奏はまともではなかった。老先生のもとで治療をしていた時の娘さんは和服を着た上品な感じだったが、うちに何度か泊まりに来た時は、後になるほど浮浪者のようになって行ってしまったのだ。結局、プッツリと連絡が取れなくなってこの話は終わるんだが、あれこそ本当に前衛音楽だったのではないか?と今でも思う。そして「もし憑依されるような事があるなら、出来れば天使に憑依されたいよなあ」と切に思う次第なのである。


p.s.

 そういや、エクソシストのサントラに使われてたヘンツェの曲とかホントに怖いっすよね!ラロ・シフリンのバージョンも捨てがたいけど、ヘンツェにはかなわなかったか?



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