Music Column

6. クロスウィンドの頃 6/白竜ナンセンスフォーク事件:

注:この文章は1998年頃に自前ホームページのエッセイコーナー用に書かれたものを加筆訂正しています。
 


   

 

 白竜はキティ専属の在日韓国人バンドとして有名だった。リーダーの白竜さんは最近は俳優としても活躍してるけど、私がキティの仕事をよくやっていた頃はインディーバンドとしてレコードを出したりし、発売禁止レコードなんかでも話題になった。その頃(つまり私が18〜20歳の頃)キティでは何人かのキーボードプレイヤーがセッションマンとして活動していた。たいがいの場合、キティ専属アーティストのバックバンドメンバーから始まって演奏能力のある人はスタジオ系の仕事を回してもらい、その後、人によって作曲編曲や作詞の方へ行ったり、ソロアーティストとしてデビューして行く、みたいなパターンが一般的だった(プロになる方法も参照)。私の場合はボーカルの原久美子氏のサイドキーボードをスタートとして、来生たかお氏なんかのキーボードを担当して渋谷の屋根裏やジャンジャン、銀座の日立Lo−Dプラザなんかに出演していた。


 このパターンで色々なミュージシャンのバックを担当していた同世代のキーボードプレイヤーとしては私の他に川島バナナ氏、小林泉美氏(通称ミミちゃん、彼女はその頃すでにソロアーティストとしても有名だったけど)、岩崎工氏(その後CM界の巨匠になりました)、小室哲哉氏とかが色々なバンドの演奏をとっかえひかえやっていた。その頃私はフェンダーのエレクトリックピアノとシンセサイザーを中心にした演奏がメインだったため、ジャンルの違うバンドの演奏を頼まれると相応のスタイルを得意とする人に仕事をふりあったりしていた。


 たとえば初期の安全地帯は「参加したら北海道で合宿練習だよ!」とか言われたんで「パス!」というわけで川島バナナ氏が引き受けたり、名もない新人のデモテープレコーディングを岩崎工氏に頼んだりと色々やっていたわけである。逆に川島バナナ氏経由で越美晴氏のキーボードを頼まれたりとかもあったりし、様々なタイプの音楽を経験できて面白かった。


 そんな中、ちょうど白竜のキーボードが抜けたというのでマネージャーのMさんって人が私に仕事を頼んで来た。テープを聞いてみたところ、サウンドは完全にハードロック系だった。上記の如く私はエレピ中心の演奏がメインでハードロック系のオルガンを弾きまくるのは専門外だったので、岩崎氏に相談したところ「今ちょうど小室君が空いてるらしい」ってんで連絡してキーボードをお願いした。確か岩崎氏と小室氏は実家が近いとかなんかあって同じ楽器屋を通して知り合いだったと聞いた気がする。結局、小室氏は白竜に参加が決まったとMさんから連絡を受けた。


 しかし、このマネージャーのMさんは良い人なんだけど抜けてるのは有名で、当時キティにかかわってた人に聞けば100%の確立で「ああ、あいつね。良い奴なんだけどねー」という返事が返ってくる。


 で、白竜事件はバンドが東北ツアーに行った時、ライブハウス周辺に立てた看板の白竜の「竜」の字に間違って「さんずい」が付いていて、白竜ではなく「白滝(しらたき)」になっていた。当時はまだ1970年代だったので「しらたき」なんてバンド名ならナンセンスフォークデュオとかで実在してそうな所が怖い。


 Mさんがらみの事件は他にも、楽器車でわたしの家の近くに来て近所の門をぶっ壊したとか、駐車場横の壁をぶち抜いたとか、国立から楽器を積んで銀座まで来てみたらストリングスを積み忘れてきてて、1ステージ目はストリングス無しの曲目を演奏することにして、2ステージ目までの間にストリングス取りに行ったけど、帰りにあわててバックしたら近くの喫茶店の鉢植えを破壊して弁償させられたとか、楽器の扱いが雑で私が楽器を取りに行ってみたらオルガンの鍵盤が1つ無くなってたとか、六本木ピットインに出演のため行ってみたら出演バンドがもう1つ来てたとか(業界用語ではこれをダブルブッキングという)、まあそんな事があった彼も課長になったらしい(現在は退社、そもそもキティ自体が潰れた)のだから音楽業界は人材不足なんだろうねえ。

(その後、彼は有名アニメ制作会社の社長になったらしい)



 ←前へ   次へ→ 

Copyright © 2018 - end of the world / Fumitaka Anzai