Music Column

5. クロスウィンドの頃 5/つぶれた産婦人科に泊まった話:

注:この文章は1998年頃に自前ホームページのエッセイコーナー用に書かれたものを加筆訂正しています。
 


   

 

 クロスウィンドの頃1にも書いたように貧乏バンドツアーは泊まる場所に苦労する。その昔、大阪のステージ終了後、バンドメンバーの知り合いが経営していたという産婦人科の建物に泊めてもらった事がある。「経営していた」という過去形な所がポイントで、ようするに廃院になった産婦人科なのである。泊まったのはその2階にある宿直室なんだけど、水が出ない。したがってトイレに行くには一度建物の外にある階段を降りて旧病院内のトイレに行く必要がある。病院の方は水は出るけど電気がつかないという二者択一な状態で、トイレに行くにはロウソクと懐中電灯を持って行くしかない。


 廃院になった産婦人科はガラ〜ンと広いんだが、足元を見ると病院だった頃の部屋を仕切っていたパーテーションのあとが残っている。夏も真っ盛りの8月下旬、電気のつかない産婦人科跡の個室トイレに入るのはハッキリ言って怖い。トイレに行きたい人は3〜4人でまとめて行き「みんないるよね〜」と励まし合いながら用をたした。


 とりあえず夜中に一度行ったので水物を取らないように我慢し、さあ寝るか、と布団を敷いたのが夜中3時過ぎ。やっと布団に入ったと思ったら真横をJRの高架線が走っていて一睡も出来ず状態。


 翌日はツアーバスで京都の銀閣寺横にあったライブハウス「サーカスサーカス」まで移動。このツアーバスがまたいわく付きで、ボロだったため高速道路走行中にエンジンの部品を道路にぶちまけた。メンバーが走行中の高速道路後方で火の手が上がったので見たら、自分の車の部品が燃えていたという由緒正しいツアーバスだ。もっともその前に使っていた楽器車は飯田橋を通過中にいきなりクラクションが鳴りっぱなしになり、走りながらハンドル周辺の配線を引っこ抜いて音を止めたり、ラジエーターから水が漏れるので移動中は常にペットボトルに水を満タンにして走っていたという悲惨な物だった。


 で、霊の祟りかどうか分からないがサーカスサーカスでリハが終わって食事してたら気分が悪くなってバッタリいってしまった。仕方がないので本番前まで駐車場に止めたクーラーなしの楽器車で熟睡し、なんとかライブを終えられた。銀閣寺の駐車場で蝉の声を聞きながら汗だくになって寝たのは中々思い出に残る出来事ではあったが、出来ればもう二度としたくない体験でもある。



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